マルコ・デ・バルトリ Marco de Bartoli
Marco De Bartoli & Terzavia マルコ デ バルトリ & テルツァヴィーア - Sicilia
シチリアを代表するワインの一つ「マルサーラ」の造り手。そして、そのマルサーラの常識を突き破った偉大な造り手『デ・バルトリ』。
現在のマルサラはブランデーなどの蒸留酒で酒精強化されていなければ、「マルサラ」を名乗ることができません。
しかし、マルサラとはシチリア州、トラパニ県の都市の名前であり本来この地で造られたワインの名前であったはずでした。
そして中世の錬金術師によって、蒸留の手法が確立するより以前は蒸留酒は広まっておらず、それ以前よりマルサラでワインは造られていました。
マルサラは大きな港があったこともありこの地のワインをイギリスに輸出するため、ワインが船旅で傷まないようにアルコールを添加したのが始まり。
それがいつの間にか、「アルコールを添加しないとマルサラを名乗れない」
というように逆転現象が起こってしまいました。
つまりイギリスに輸出が始まる以前のスタイルのマルサーラ。
しかし、本来、輸送に対する耐性を上げるための「アルコール添加」が添加することによって、低品質なベースワインをしようしても品質を誤魔化すことができるという事に気が付いた生産者たち。
その生産者たちによって、マルサラワインの「工業化」の嵐が吹き荒れてしまいます。
そういった人たちの政治力によって「アルコール添加したものこそがマルサーラ」という逆転した状況が生まれてしまったのだそうです。
そこに果敢に挑み、昔ながらの「アルコール添加をせず」にマルサラ本来のワインを作り続けたのが伝説的な造り手『マルコ・デ・バルトリ』。
感覚的には現地では「ヴァレンティーニ」や「ソルデーラ」等といった造り手に対してもまったく遜色がない、別格の作り手という印象。
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マルコ デ バルトリは言った、
「流れに逆らい、自分に賭け、歪められた醸造業界の決まりごとに挑戦し、
私の住むこの地域の持つ伝統の価値を信じ、それを自分に与えられた義務だと考え、
経済的後退を顧みず、1980年に私はマルサーラという地域の典型である、
“Stravecchio(ストラヴェッキオ、ここでは、長期間熟成させたワインの意)”を造るという冒険を企てた。
ここにヴェッキオ サンペーリは生まれた。」
ワイン法などによって縛られた既成概念に疑問を持ち、それを壊すことで生まれた彼のワインは、マルサーラにおいては唯一アイデンティティーを確立していると言える。
ヴェッキオ サンペーリは、マルサーラと同じブドウ品種であるグリッロを使用した、従来のマルサーラの製造過程で行われているアルコール&モストの添加を行わずに(マルサーラ同様に)ソレラ方式で酸化的熟成をした極辛口のワイン。
パンテッレリーア島のブックラム(アラブ語で“ブドウ畑の父”の意)地区にある5ha畑で獲れたブドウからは3種類のパッシートが造られる。
8月中旬ごろから収穫が始まり、天日干しされるズィビッボにとってはその時期の太陽、つまりSole d’Agostoソーレ ダゴスト(8月の太陽)こそが、
その年のワインの個性を決定づける最も大切な要素であると、マルコはことある毎に言っていた。
その名を冠したワインは、木樽での熟成を行わずに収穫から比較的短期間のうちにボトリングされるシンプルなパッシートで、毎年生産されている。
それに対してブックラムは、ブドウの品質、収穫後の天候などに恵まれた年にのみ生産される。
50%のブドウは8月中旬ごろ収穫後天日干しにされ、残りのブドウは9月の上旬まで樹上でさらに熟させた後に収穫、アルコール醗酵をさせる。
醗酵が活発になった頃、3週間にわたり天日干していたブドウを粒のままモストへと加え、約3か月間のマセレーションを行い、その後約30か月の樽熟成を経たのちにボトリング。
テルツァヴィーアは故マルコの長男、レナートによって2009年に設立された会社。
マルサーラとヴェッキオ サンペーリを生産しない年に、グリッロ種を使ってスプマンテを生産する。
ベースのワインは野生酵母によって醗酵、2年間の樽熟成の後にその年のグリッロのモストを加えボトリング、瓶内2次醗酵が促される。ドザージュ ゼロ。
リゼルヴァVSはティラージュ時にヴェッキオ サンペーリの20年物を加えたスペシャルキュベ。
ルーチドはマルサーラでレナートの友人によって栽培されたカタッラット ルーチドで造られたワイン。
(輸入元資料より)
シチリアを代表するワインの一つ「マルサーラ」の造り手。そして、そのマルサーラの常識を突き破った偉大な造り手『デ・バルトリ』。
現在のマルサラはブランデーなどの蒸留酒で酒精強化されていなければ、「マルサラ」を名乗ることができません。
しかし、マルサラとはシチリア州、トラパニ県の都市の名前であり本来この地で造られたワインの名前であったはずでした。
そして中世の錬金術師によって、蒸留の手法が確立するより以前は蒸留酒は広まっておらず、それ以前よりマルサラでワインは造られていました。
マルサラは大きな港があったこともありこの地のワインをイギリスに輸出するため、ワインが船旅で傷まないようにアルコールを添加したのが始まり。
それがいつの間にか、「アルコールを添加しないとマルサラを名乗れない」
というように逆転現象が起こってしまいました。
つまりイギリスに輸出が始まる以前のスタイルのマルサーラ。
しかし、本来、輸送に対する耐性を上げるための「アルコール添加」が添加することによって、低品質なベースワインをしようしても品質を誤魔化すことができるという事に気が付いた生産者たち。
その生産者たちによって、マルサラワインの「工業化」の嵐が吹き荒れてしまいます。
そういった人たちの政治力によって「アルコール添加したものこそがマルサーラ」という逆転した状況が生まれてしまったのだそうです。
そこに果敢に挑み、昔ながらの「アルコール添加をせず」にマルサラ本来のワインを作り続けたのが伝説的な造り手『マルコ・デ・バルトリ』。
感覚的には現地では「ヴァレンティーニ」や「ソルデーラ」等といった造り手に対してもまったく遜色がない、別格の作り手という印象。
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マルコ デ バルトリは言った、
「流れに逆らい、自分に賭け、歪められた醸造業界の決まりごとに挑戦し、
私の住むこの地域の持つ伝統の価値を信じ、それを自分に与えられた義務だと考え、
経済的後退を顧みず、1980年に私はマルサーラという地域の典型である、
“Stravecchio(ストラヴェッキオ、ここでは、長期間熟成させたワインの意)”を造るという冒険を企てた。
ここにヴェッキオ サンペーリは生まれた。」
ワイン法などによって縛られた既成概念に疑問を持ち、それを壊すことで生まれた彼のワインは、マルサーラにおいては唯一アイデンティティーを確立していると言える。
ヴェッキオ サンペーリは、マルサーラと同じブドウ品種であるグリッロを使用した、従来のマルサーラの製造過程で行われているアルコール&モストの添加を行わずに(マルサーラ同様に)ソレラ方式で酸化的熟成をした極辛口のワイン。
パンテッレリーア島のブックラム(アラブ語で“ブドウ畑の父”の意)地区にある5ha畑で獲れたブドウからは3種類のパッシートが造られる。
8月中旬ごろから収穫が始まり、天日干しされるズィビッボにとってはその時期の太陽、つまりSole d’Agostoソーレ ダゴスト(8月の太陽)こそが、
その年のワインの個性を決定づける最も大切な要素であると、マルコはことある毎に言っていた。
その名を冠したワインは、木樽での熟成を行わずに収穫から比較的短期間のうちにボトリングされるシンプルなパッシートで、毎年生産されている。
それに対してブックラムは、ブドウの品質、収穫後の天候などに恵まれた年にのみ生産される。
50%のブドウは8月中旬ごろ収穫後天日干しにされ、残りのブドウは9月の上旬まで樹上でさらに熟させた後に収穫、アルコール醗酵をさせる。
醗酵が活発になった頃、3週間にわたり天日干していたブドウを粒のままモストへと加え、約3か月間のマセレーションを行い、その後約30か月の樽熟成を経たのちにボトリング。
テルツァヴィーアは故マルコの長男、レナートによって2009年に設立された会社。
マルサーラとヴェッキオ サンペーリを生産しない年に、グリッロ種を使ってスプマンテを生産する。
ベースのワインは野生酵母によって醗酵、2年間の樽熟成の後にその年のグリッロのモストを加えボトリング、瓶内2次醗酵が促される。ドザージュ ゼロ。
リゼルヴァVSはティラージュ時にヴェッキオ サンペーリの20年物を加えたスペシャルキュベ。
ルーチドはマルサーラでレナートの友人によって栽培されたカタッラット ルーチドで造られたワイン。
(輸入元資料より)
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